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2025/04/21(Mon)
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2010/03/11(Thu)

どうして歌の歌詞が心に沁みるかっていうと
それは「素読」に近いからじゃないかと思う。
メロディに乗せて自然と覚えてしまった歌詞は
あとからなんとなく意味がわかるし
あとから効いてくるものなのではないですかね

わたくしは椎名林檎や鬼束ちひろの歌詞がすきです
あとCocco

だから歌詞というものは長く付き合っていける、理解するチャンスが多いけれども
詩は一発勝負なところがあるのかもしれないなあと
そんなことを思います

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2010/03/10(Wed)


ことばの重みというものを、本当は身体で感じている。
体感というやつである。

重さというのはグラムとかキログラムではなくて
手ではかったり足ではかったりするものなのではなかったかしら。
なんつってな…

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2010/03/06(Sat)
わたしは自分の考えを哲学と呼ぶのはいやだし、自分の妄想を書きつらねた文を小説と呼ぶのも気が引けるけれども、最近では自分の書いた詩を詩とはっきり言えるようになった。と思う。
自分を詩人とは呼べないけども、だんだんそこへ近づいていっているような気がする。

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2010/03/06(Sat)
引っ越しからそろそろ一年、
わたしの持っている書籍たちは未だ段ボールの中であります。
受験も終わったしそろそろ出さんとね…
舞城が読めないからね…




舞城王太郎が好きです。
好き、というのは変かもしれない。
世界がヒーローを求めるように、わたしは舞城を必要としている。
そんくらいです。

舞城作品はわかりやすく噛み砕かれた哲学だと思います。
舞城に出会うまで私にとって読書はたぶん現実逃避の手段でしかなかった。ゆえにカスみたいな本もたぶんいっぱい読んだ。
舞城を読んでからは、現実に向かい合うために本を読むようになったように思います。
そんくらいなのだ。舞城は。

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2010/03/06(Sat)
以前現代詩フォーラムに投稿した散文「覚えていない記憶のことを」を、私は
「この手には、詩を書くということは
記憶にないことを思い出すことと
同じ感触がする。」
と締めくくったのだけれど、
最近読んだ『人間の建設』(小林秀雄・岡潔)の解説で茂木健一郎がこんなことを書いていた。
 

人間の脳が新しいものを生み出す創造性のメカニズムの詳細は、未だ明らかにされていない。それでも、創造するプロセスが、「思い出す」ことに近いということはわかってきている。脳の側頭連合野に、さまざまな経験が蓄積される。それを、前頭葉が引き出すことが、「思い出す」ことである。この際、過去に経験したことをそのまま再現するだけならば、通常の意味での「想起」である。その一方で、経験の要素を組み合わせて、新たな脈絡をつなぎ、今までにないかたちで生み出すのが「創造」である。



脳味噌のことはよくわかりませんけれども、直観や感覚を信じてやることも間違いではないかもしれない、と思った。

しかしですね、確認してみたら「覚えていない記憶のことを」投稿したの、去年の2月11日なんだけども。受験真っ最中じゃないか!なにやってんだ!

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